好日山荘 ガイドコラム

好日山荘契約ガイドによる山のコラム

昭和8年の劔岳への女子集団登山

大阪樟蔭女子大学の前身である高等女学校に1926年(大正15年)、女子専門学校が加設された時の先生に朝輝記太留氏がいました。朋文堂が発行していた「ケルン」1933年十月號に「劔岳への女子集団登攀」という報告を寄稿しています。

 表示 1933年「ケルン 5月号」

ところで好日山荘は、1924年(大正13年)に西岡一雄氏が創業し、2014年 創業90周年 を迎えました。ご存知でしたか。

1923年から1925年の出来事のWEBページがありました。 

当時、樟蔭女子専門学校で行う女子アルプス登山は三コース策定され、  1:槍ヶ岳、上高地方面 2: 立山、五色ヶ原、劔岳方面 3: 白馬岳及び黒部渓谷方面 を大正15年から順番に繰り返し集団登山がおこなわれたようです。

 表示 槍沢を登る

 表示 劔岳 別山尾根上部を行く

 表示 白馬稜線を歩く

大正15年の第一回は、中房ー燕岳ー大天井ー西岳で泊まり、翌日に喜作新道ー肩ノ小屋ー槍ヶ岳ー上高地温泉で泊まりました。上高地に一日滞在し、翌日に徳本峠を超えて浅間温泉で泊まったとあります。実質的に山中一泊二日という健脚です。現在であれば、中房から燕山荘、翌日に大天井岳-西岳-槍ヶ岳山荘、最終日に上高地、そしてバスで帰るという二泊三日ところでしょうか。

そして、昭和三年の劔岳は不成功、めぐって昭和八年に第二回劔岳を行った記録が次の通りです。

7/17 大町を出発、針ノ木頂上小屋泊まり、7/18 五色ヶ原小屋で泊まり、7/19 ザラ峠ー竜王岳ー浄土岳で昼食、14:30立山頂上、大汝、富士ノ折立、真砂岳ー劔御前小屋泊まり、7/20 午前7時に劔沢を下り、前劔ー平蔵の頭、正午に劔岳頂上、13:30 下山開始、平蔵の頭ー平蔵谷下降ー劔御前小屋に夕刻に帰着とある。大町へ下ったとあります。芦峅に下ったか、大町に下ったかは書かれていませんが、実に五泊六日以上の登山であったかもしれません。1933年(昭和八年)、十名以上の女子が団体をつくって登った記録で何とも健脚だと思います。

昭和8年の出来事の紹介WEBページ

さて、1933年の81年後2014年、好日山荘の「おとな女子登山部」はにどういう登山をしていくのでしょうか。楽しみです。

登山研修所友の会には役立つ情報がたくさんあります。

加藤ガイドのHPでは、キノコ、自然、花、地質、鉱物などを載せています。